2018/05/10 実家のそばまで寄って行かなかった日

特にテーマの無い日記を書きます。

最近用事があって遠出をすることがよくあります。さらにその時に実家のそばまで移動することがあるわけです。もののついでだからと実家に挨拶に行ってもいいわけです。普段が遠くに住んでいますから。でもなんとなくいつも寄らないんですね。何を話したらいいか思いつきませんし、話して気になることを言われるのも好きではありません。

特に実家と仲が悪いわけではないですし、これは仕事についていた時からそうです。

故郷は遠くにありて思うもの、を言った人は実家と仲が悪かったらしいですが、そうでなくともしゃべるほど面白くないことになりそうなので避けてしまうということはあるのではないでしょうか。

ということで見知った風景を子供のころは平日の昼になんて歩きませんから、意外と景色がいいことを再発見しながら散歩していました。用事があるまでの時間つぶしで少し歩いていました。

そういうことで気付いたのですが、街中のお店に詳しい人ってどうやって詳しくなるのだろうかと疑問だったことが一つ解決しました。目的もって時間を決めて街に出るといつまでもお店に詳しくなれない、知っているお店しか知れないのですが、天気の良い昼に歩くと、気分がよくていろいろなものが目に入ります。頭が活性化している気分です。個人的には大興奮ですね。

今日は自分のためになることを特にやれない日でした。実際は食い扶持について人生の岐路に立っている時期なのですが、なんとなくもう気持ちが決まっているのです。一番自分がやりやすいものにしてしまおうという方向に。やりやすいけど肉体的には大変そう、周りからは評価してもらえるんだろうか、そんな優先順位です。とても嫌なのが事情に詳しくない人の言葉ですね。

あぁ、そういう意味で実家に寄りたくないという気持ちの揺さぶられがあることに文章を書きながら気づくわけです。日記をつけるようになって正解です。そしてこの視点の内向きな文章を公開しても誰もついてこられないものであることを後で反省しなくてはなりません。こういう文章は私の気を晴れさせるために書くわけですが、実は3日後の私はこれを読んでも全く理解ができないのです。何度か経験があります。

明日の予告をして今日の作文をやっつけてしまおうと思います。明日は掃除についてです。たぶん。違うこと書くかも知れません。やりたいことはあるのです。日記にそぐわないのです。1000文字20分。