2018/05/07 雨 ブログの方針の続きを含む

 

昨日の投稿の最後に書いた私は風景であるということについて言葉を足します。

私はこの記事を書いている現在無職なのですが、学生から新卒で働き始めてから無職がどういう状態か想像がうまくできませんでした。読者の多くはそうかも知れないので、いわゆる普通の人生を送ってきた価値観の人間が、仕事をしていない時期に何を考えているのか、というのを一つの例として目にしてもらえる機会になればと思います。おそらく従来通りの普通の特別な解放感は無い生活を送っている人間がいる、ということが綴られると思われます。

 

今日の分の作文に入ります。

せっかく上に仕事を辞めた話を書いたので、辞めた直後の心境を思い出して書いていきましょう。

一つ目はお金の損をしている気分になります。

実は私は収入のアテがなく退職をしているのです。貯金は普通に働いている分、独身の分はありましたので、すぐには困らないですし、当時は辞めてから仕事を探してもすぐに見つかるだろうと思っていました。

二つ目は同じことなんですが劣等感を感じます。

これはかなりはっきりと感じました。前の職場の近しい人は今も仕事をしていて、それこそサラリーマンですから出世のステップを順次踏んでいます。一方私はそういうものを全て捨てている訳ですね、これからもこの瞬間も。退職する直前に読んだ何かの本(起業に関する本、私は起業するタネも持っていないので、する気は無いんですが)にもそんな一文があったように思いますので、他人の言葉を起点に自分の気持ちをはっきりと認識したのでしょう。この気持ちは自分でも驚くほどはっきりと感じたものです。経験しないとわからないものの一つです。(はっきりを3回も使っている)

 

辞めた理由をさかのぼって思い出して書き起こしておきます。一時的な感情の爆発によって辞めたという訳ではないですが、以前からあった不満が解消される見込みが事業環境的に無いし、上司の命令もやはり解決の糸口が見えない、社内で新しい可能性を見出すべく狭いポストに自分を無理くりねじ込んでいくための努力をする気にもなれない、やれても不満が解消するかは不確実、そんなことがいくつか重なって辞めました。

少し時間が経った今となっては、辞めたことは後悔していません、収入源を確保していなかったことは後悔しています。

似たような感覚を持っている方もいらっしゃいませんか?だからといって私と同じ行動をとるのはバカバカしいのでお勧めできません。いきなり食うに困ることはなかった例があるのみです。

 

 

内面の吐露みたいな文章がながなが続いてしまいました。文章にして頭の中から追い出すことが大切ですね。追い出したつもりでも時間が経つと思い出すので、今回個人的に何度目かの作業がここに公開されています。

 

昨日の投稿はとりあえず書けるところまで書いて投稿してみたものの、後から考えるともう少し明文化せねばと思うものがありました。

日記なので文章の構成を練り直すような推敲はしないこと

これひとつに尽きるようなことですが、完璧さを追い求めないことを自分に課しています。物理的には、毎日1000文字書くことを義務付けようとしていますが'(毎日できるかな?)、一方で1000文字書くのに何分かかるかを計測して実験している状況にあります。

それをここに書いてどうする、読ませてどうする、という言葉なのですが、私にとっての決意表明であり忘れないためのメモになっています。読者にとってはどうでもいいことですね、私がそれほど思考を磨き上げている作文者でないことがわかる程度でしょうか。

1500字が50分。話の区切りが悪くて長文になってしまいました。1000文字30分くらいをとりあえずの目標にします。推敲要らず、話の区切りがうまく、時間をかけすぎず、読みやすい、そんな日記を書く手癖の技術の習得。